そしてまた朝が来る

日々の自分

奥さんとの出会い

久しぶりに奥さんが返ってきてようやく家も落ち着いた。
数日前に奥さんが返ってくるというので午後の仕事をお休みして
空港に迎えに・・・


うちの奥さんは中国人で、中国に里帰りしていた。
奥さんのLineでは、少し早く着きそうということで空港の国際線到着ロビーに
到着30分前に着いていたが、さすが中国の航空会社、期待を裏切る時間の遅延。
他では見られない電光掲示板での到着時間の変更に次ぐ変更・・・
結果、最初の到着時間より30分遅れ・・・
結果、1時間くらい待つはめに・・・
でもまあ無事に帰ってこれて良かった。


空港の帰り道、夜10時を過ぎていたのでお腹もすいており二人で食事へ
奥さんは料理を待っている間、久しぶりに親族や友達に会った話や向こうでの
滞在中の出来事などを少し興奮気味に語ってくれた。
まあコロナの影響もあり5年くらい帰ってなかったしね。


奥さんとはもうすぐ一緒になって20年になる。
自分は離婚して2年くらいの時に、お店に来ていたアルバイトの
中国人の女の子の友達の人の紹介だった。
お見合いのような感じからスタートで、付き合って半年くらいで結婚した。


奥さんは日本に留学生としてきており、住んでいたのは友達と2人でワンルーム
のマンションだった。
凄くまじめで、夜はコンビニ弁当を製造している工場で働き、晩飯はおにぎり1個
と牛乳1杯のような地味でお金を使わない生活、給料のほとんどを仕送りして
自分にはお金を使わないそんな子でした。


そのころ自分の仕事が人から譲ってもらった飲食店の経営者ではあったものの
元の経営者が中々どかずに居座り続けていた為に、譲ってもらうのをやめて
店を返上した時は一時仕事もなく苦しかった。
そんな時期を支えてくれて面倒を見てくれたのが奥さんだった。
その後留学している大学を卒業すると同時に結婚した。


結婚する前二人が暮らすための家を用意するために知り合いの店でバイトをして
住むところがなかったので車の中で3か月生活をして(11月から1月までの寒い時期)、そのころ290円で食えた吉野家の牛丼で何とか生き延びて奥さんの卒業まで待ち、
一緒に暮らし始めた。


奥さんは凄く献身的につくしてくれ、いつも頭が上がらない感じだ。
その時にはすでに自分は奥さんのために生きていこうと決めていたんだな。
奥さんは常に自分のために考えてくれて、そんな奥さんのために何ができるか
いつも考えた。


でも男の出来ることは少ないね。
最初に決めていたことは、何かしてもらったこと、例えばお茶お入れてくれたとか
ご飯を食べた後とかに必ず、「ありがとう」「ごちそうさん  美味しかった」など
必ず言うようにしている。
自分には出来そうもないことを文句も言わずしてくれているのだから当然でしょう。
それは20年経った今でも変わりない。


奥さんもそうだ、未だに自分の事は後回しでまず自分の事を考えている。
感謝です。
これからも元気で自分より長生きしてほしいです。

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